神通寺 住職の日記(旧タイプ)

2014年までの記録保存用です。

2ヶ月前に亡くなられた方のお葬式。

昨日~今日は、2ヶ月前に亡くなられた方のお通夜~葬儀。
家族葬として出されましたが、
ご縁のある方々がたくさんお参りされました。

亡くなられたご本人は、50代後半の男性。
仕事や人間関係に悩み、2ヶ月前に消息が途絶えたのですが、
変わり果てた姿で発見されたそうです。

息子さんが喪主をされ、住職である私と葬儀の相談をしているときに、
切羽詰まったお声で、私にこう聞いたのです。

「住職さん、こんな死に方をした父ですが、成仏できるのですか?」

私にとって、とても重く、大きな問いでありました。
この問いの裏側には、いろんな苦悩が詰まっているんだと思います。
自ら命を絶つことへの後ろめたさ、遺族のやり場のない悲しみ、
周りの方々へ迷惑をかけてしまったことへの懺悔・・・。

どうお答えすべきか、さんざん悩み、考えた末に、
浄土真宗の教章」を通して、きちんとお話しすることにしました。

いのちの終わり方に、善悪の区別はないけれども、悲しみの大きな別れを減らしていけるような世の中にしていきたい。
大切なことは、死に際ではなく、今、ここで、尊いみ教えを聞き、お念仏申す人生を歩んでいくこと。
そして、いのち終わるとき、往生・成仏するのは、ただ自分が救われるだけが目的ではなく、迷い、苦しむいのちを仏道に導き入れるはたらきとなるために仏と成るのである。
残念ながら、亡き父が往生・成仏したかどうかは、私には分からない。私は阿弥陀様ではないから。
しかし、亡き父が成仏したということを「証明」することは可能である。
一生懸命手を合わせ、お念仏申して欲しい。その先に、お参りの方向性がひっくり返される、「転じられる」世界が開かれてくるとき、手を合わせ、お念仏申す身に育てていただいたはたらきに気付かされてゆく。
それは、亡き父のはたらきであるとこころからうなずけるならば、先だった父は私にとって,間違いなく仏のはたらきとなって還ってきてくださったことに他ならない。
大切なことは、私自身が、お念仏申していく人生を歩むこと。それがそのまま、父の成仏を証明する唯一の方法なのです。そして今度は、自分自身が、後に続くいのちを導いていくはたらきとなっていくのが、私たちに示されている生き方であると受け止めています。

浄土真宗の教章」にある「教義」を、参列者と一緒に読みながら、
そんなお話しをいたしました。

これを、もう少しきちんと整理して、
今月のご法話としてお話ししたいと思っています。