神通寺 住職の日記(旧タイプ)

2014年までの記録保存用です。

第207回 門徒推進員中央教修、修了いたしました。

第207回の、中央教修、
無事に修了いたしました。
 
43名の参加者と共に過ごした、
とても濃い~4日間でしたよ。
 
イメージ 1
一応、教修中は撮影禁止なので、
全日程を終えたあとの懇親会にて、
わが2班の集合写真を撮影。
北海道から来られた方は、交通の都合で先に帰られましたが、
残った参加者5名と、スタッフ2名で、パチリ。
いや~、ビールが美味しかったこと!!
イメージ 2
今回の教修では、『神』のご法座を担当。
真宗門徒として生きていくことの意味を問いながら、
それでも、現実には地域社会でいろんなしがらみを抱えている中で、
「そうは言っても・・・」というジレンマを抱えていることを話し合っていただきました。
 
そして、『宗教の寛容性』ということについても考えていきました。
ついつい誤解してしまうのは、
「これが正しいからそっちは間違いだという宗教は、排他的ではないか。
もっと寛容性を持って、いろんな宗教を認めることが大切だ。」
という考え方です。
「これもいいけれども、それもいいんじゃないか。」
それは、宗教の寛容性ではありません。ただ、よりどころが定まっていないだけです。
 
「私は、このみ教えをよりどころにして生きていきます。それはぶれることはありません。
だから、それとは違うよりどころを持っているあなたの生き方は、きちんと尊重します。」
これが、本当の「宗教の寛容性」なのでしょう。
私は、真宗門徒として、お念仏をよりどころとして生きていきます。それはぶれることはありません。
しかし、現実には違うよりどころを強制されたり、それをお断りすると「仲間はずれ」にされてしまうこともあるわけです。
そこに、「そうは言っても・・・」という、ジレンマを抱えていくことになるのでしょう。
逆に言えば、「よりどころなんて、何でもOK」なら、そんなジレンマを抱えることはないのです。
大切なよりどころがはっきりすることで、様々なジレンマを抱えて生きていかなければならない我が身が見えてきます。
そんなことを感じながら、ご法座を進めていきました。
 
4日間の教修は済みましたが、
これからが、真宗門徒としての、新たな歩みのスタートです。
一歩一歩、「ともに」歩んでいきたいですね。
イメージ 3