ご法事で、仏法談義。
先日のご法事で、久しぶりの仏法談義。
おふるまいの席で、いろいろとお話しをさせて頂きました。
お相手は、施主の娘婿の父親。
つまり、私とはあまり面識がなく、お手次も全く違うお寺さんです。
とはいえ、真宗の流れをくむお寺さんがお手次ですので、
阿弥陀経も、お正信偈も、節は違えど親しんでおられます。
お酒を差しつ差されつ、だんだんとホンネがちらり。
「なあ、お寺さんってのはなあ、大変だよなあ。
いつも、ご門徒さんから見られてるんだよなあ。
でもな、大変だけど、すっごく期待されてるんだぞ。
うちのご院さんも、ご法事ではいいことを話されるんだけど、
普段の評判が良くないんだよなあ。
そうすると、聞いてても話の実感が伝わらない。
同じご法話でも、ご院さんの人格を通して話が伝わるわけだから、
あなたの人格が、実はそのままご法話なんだからね。」
イヤ、参りました。
その通りなんですね。
私がどんなに立派で尊いお話しをしても、
それはあくまでも、私の人格を通して伝わるんです。
だから、自分をはずしたところで語る言葉は、
聞き手の耳を素通りするどころか、
反発すら招くこともある。
「仏法は、こういう人格を形成する教えなのか。」
それがすごく耳に痛く響きました。
で、お話し下さった方は、こう続けられたのです。
「でもな、信用できるあるご院さんにこの話をしたら、
こう言われたんや。
『お念仏は、誰かを見るために称えるんじゃないよ。
自分の姿を見つめるために称えるんや。
南無阿弥陀仏を称えて、自分を見つめる。
そこに、ホントのお念仏があるんやで。』
そういわれて、初めてお念仏の意味がわかった。
ああ、お念仏で、周りの人を断罪している自分の姿がここにあったなあ。
ホントに問われるのは、私だったんだなあ。
だから、お念仏は、私にとって、なくてはならないものなんだなあ。」
そういって、語りながら涙ぐまれました。
私は、人生に何度とない、とても尊い出遇いができたことがうれしかった。
本当に、このご法事に参加できて、うれしかった。
お念仏は、自分の手柄じゃないんですよね。
称えるままが、阿弥陀様のおはたらき。
私を案じ、私を願い、そして私を絶対に捨てることがないというはたらきがこもった、
尊い、尊い、お呼び声なんです。
そのことを、再認識しました。
良い出遇いをさせてもらったことをよろこびながらの、美味しいお酒でした。
おふるまいの席で、いろいろとお話しをさせて頂きました。
お相手は、施主の娘婿の父親。
つまり、私とはあまり面識がなく、お手次も全く違うお寺さんです。
とはいえ、真宗の流れをくむお寺さんがお手次ですので、
阿弥陀経も、お正信偈も、節は違えど親しんでおられます。
お酒を差しつ差されつ、だんだんとホンネがちらり。
「なあ、お寺さんってのはなあ、大変だよなあ。
いつも、ご門徒さんから見られてるんだよなあ。
でもな、大変だけど、すっごく期待されてるんだぞ。
うちのご院さんも、ご法事ではいいことを話されるんだけど、
普段の評判が良くないんだよなあ。
そうすると、聞いてても話の実感が伝わらない。
同じご法話でも、ご院さんの人格を通して話が伝わるわけだから、
あなたの人格が、実はそのままご法話なんだからね。」
イヤ、参りました。
その通りなんですね。
私がどんなに立派で尊いお話しをしても、
それはあくまでも、私の人格を通して伝わるんです。
だから、自分をはずしたところで語る言葉は、
聞き手の耳を素通りするどころか、
反発すら招くこともある。
「仏法は、こういう人格を形成する教えなのか。」
それがすごく耳に痛く響きました。
で、お話し下さった方は、こう続けられたのです。
「でもな、信用できるあるご院さんにこの話をしたら、
こう言われたんや。
『お念仏は、誰かを見るために称えるんじゃないよ。
自分の姿を見つめるために称えるんや。
南無阿弥陀仏を称えて、自分を見つめる。
そこに、ホントのお念仏があるんやで。』
そういわれて、初めてお念仏の意味がわかった。
ああ、お念仏で、周りの人を断罪している自分の姿がここにあったなあ。
ホントに問われるのは、私だったんだなあ。
だから、お念仏は、私にとって、なくてはならないものなんだなあ。」
そういって、語りながら涙ぐまれました。
私は、人生に何度とない、とても尊い出遇いができたことがうれしかった。
本当に、このご法事に参加できて、うれしかった。
お念仏は、自分の手柄じゃないんですよね。
称えるままが、阿弥陀様のおはたらき。
私を案じ、私を願い、そして私を絶対に捨てることがないというはたらきがこもった、
尊い、尊い、お呼び声なんです。
そのことを、再認識しました。
良い出遇いをさせてもらったことをよろこびながらの、美味しいお酒でした。