お坊さんって??
まず最初に、これは私自身への問いかけであって、
決して他のお坊さんへの中傷ではありません。
友人のおかあさんが亡くなられました。
私も、喪主の友人の一人として、喪服を着て
一般会葬者として、お通夜にお参りいたしました。
最近は、ほとんどが葬儀会館なんですよね。
3~4年前、おとうさんが亡くなられた当時は、
近隣のお寺で葬儀をされたことを記憶しています。
さて、御導師は、遠方のお寺さん。
実をいうと、同じ宗派の方になります。
付院(付き添いでお参りする他のお寺さん)は2名。
近所の、同じ宗派の前住職さんと、
以前に会場を使用した、近隣の他宗のお寺の若院さん。
合計3名で、お通夜を執行されました。
お通夜は、いつもの通り、仏説阿弥陀経。
一般参詣者はおつとめせず、後ろの席で聞いています。
ところが・・・。
導師のおつとめに対し、付院の前住職さんは、
まったくテンポを合わせる気配なし。
トン、トン、トン、というリズムに対して、
トントントントン・・・という速いリズムで、おつとめを速めようとします。
私たちの業界用語でいうと、「突っかける」といいます。
導師も必死で自分のリズムにもどそうとするのですが、
付院の老僧さんは、いっこうにかまう気配なし。
近隣の、他宗の若院さんは、導師のリズムでたんたんとおつとめを続けます。
結局、最後までおつとめのリズムが3人合う、ということはなかったみたいです。
おつとめが済むと、お寺さん方は、さっさとご退場。
時計を見ると、始まってから、まだ25分も経ってない!!
布教とまではいかなくても、5分程度のお話しがあってもいいのにな、と思いました。
済んでみて、一番印象に残ったのは、
近隣の、他宗の若院さん。
りんとして、自分のすべきおつとめをこなしておられました。
背筋を伸ばし、読み慣れないおつとめをきちんとおつとめした姿は、
一番大人びているというか、貫禄がありました。
私と一緒に座っていた仲間に、お通夜の感想を聞いてみると・・・
「なんか、あっけないおつとめやったなあ。」
「最後まで、リズムの合わない、変なおつとめやった。」
「ふつう、最後にお話しをするんじゃないの?おつとめだけでサヨナラなの?」
そうですよね。
お寺さんの一員として、普段はお通夜・葬儀にお参りしているけど、
一般参詣者の一人としてお参りしてみると、
いろんな事が見えてきます。
ご法義をよろこび、お念仏をたしなみ、
いざというときには、率先して故人を見送る儀式を執行する。
そこに、私たちお坊さんの立ち位置があるんじゃないかな。
もちろん、その根底には、仏法の賛嘆という大切な意味合いが込められています。
どうも、そのあたりの目線が欠落してしまうと、
参拝者をそっちのけにした、お坊さんの世界だけで完結してしまう
葬儀やお通夜になってしまう気がしてなりません。
私自身、自分の肝に銘じておきたいことです。
決して他のお坊さんへの中傷ではありません。
友人のおかあさんが亡くなられました。
私も、喪主の友人の一人として、喪服を着て
一般会葬者として、お通夜にお参りいたしました。
最近は、ほとんどが葬儀会館なんですよね。
3~4年前、おとうさんが亡くなられた当時は、
近隣のお寺で葬儀をされたことを記憶しています。
さて、御導師は、遠方のお寺さん。
実をいうと、同じ宗派の方になります。
付院(付き添いでお参りする他のお寺さん)は2名。
近所の、同じ宗派の前住職さんと、
以前に会場を使用した、近隣の他宗のお寺の若院さん。
合計3名で、お通夜を執行されました。
お通夜は、いつもの通り、仏説阿弥陀経。
一般参詣者はおつとめせず、後ろの席で聞いています。
ところが・・・。
導師のおつとめに対し、付院の前住職さんは、
まったくテンポを合わせる気配なし。
トン、トン、トン、というリズムに対して、
トントントントン・・・という速いリズムで、おつとめを速めようとします。
私たちの業界用語でいうと、「突っかける」といいます。
導師も必死で自分のリズムにもどそうとするのですが、
付院の老僧さんは、いっこうにかまう気配なし。
近隣の、他宗の若院さんは、導師のリズムでたんたんとおつとめを続けます。
結局、最後までおつとめのリズムが3人合う、ということはなかったみたいです。
おつとめが済むと、お寺さん方は、さっさとご退場。
時計を見ると、始まってから、まだ25分も経ってない!!
布教とまではいかなくても、5分程度のお話しがあってもいいのにな、と思いました。
済んでみて、一番印象に残ったのは、
近隣の、他宗の若院さん。
りんとして、自分のすべきおつとめをこなしておられました。
背筋を伸ばし、読み慣れないおつとめをきちんとおつとめした姿は、
一番大人びているというか、貫禄がありました。
私と一緒に座っていた仲間に、お通夜の感想を聞いてみると・・・
「なんか、あっけないおつとめやったなあ。」
「最後まで、リズムの合わない、変なおつとめやった。」
「ふつう、最後にお話しをするんじゃないの?おつとめだけでサヨナラなの?」
そうですよね。
お寺さんの一員として、普段はお通夜・葬儀にお参りしているけど、
一般参詣者の一人としてお参りしてみると、
いろんな事が見えてきます。
ご法義をよろこび、お念仏をたしなみ、
いざというときには、率先して故人を見送る儀式を執行する。
そこに、私たちお坊さんの立ち位置があるんじゃないかな。
もちろん、その根底には、仏法の賛嘆という大切な意味合いが込められています。
どうも、そのあたりの目線が欠落してしまうと、
参拝者をそっちのけにした、お坊さんの世界だけで完結してしまう
葬儀やお通夜になってしまう気がしてなりません。
私自身、自分の肝に銘じておきたいことです。