神通寺 住職の日記(旧タイプ)

2014年までの記録保存用です。

お坊さんって??

まず最初に、これは私自身への問いかけであって、
決して他のお坊さんへの中傷ではありません。

友人のおかあさんが亡くなられました。
私も、喪主の友人の一人として、喪服を着て
一般会葬者として、お通夜にお参りいたしました。

最近は、ほとんどが葬儀会館なんですよね。
3~4年前、おとうさんが亡くなられた当時は、
近隣のお寺で葬儀をされたことを記憶しています。

さて、御導師は、遠方のお寺さん。
実をいうと、同じ宗派の方になります。
付院(付き添いでお参りする他のお寺さん)は2名。
近所の、同じ宗派の前住職さんと、
以前に会場を使用した、近隣の他宗のお寺の若院さん。
合計3名で、お通夜を執行されました。

お通夜は、いつもの通り、仏説阿弥陀経
一般参詣者はおつとめせず、後ろの席で聞いています。
ところが・・・。
導師のおつとめに対し、付院の前住職さんは、
まったくテンポを合わせる気配なし。
トン、トン、トン、というリズムに対して、
トントントントン・・・という速いリズムで、おつとめを速めようとします。
私たちの業界用語でいうと、「突っかける」といいます。
導師も必死で自分のリズムにもどそうとするのですが、
付院の老僧さんは、いっこうにかまう気配なし。
近隣の、他宗の若院さんは、導師のリズムでたんたんとおつとめを続けます。
結局、最後までおつとめのリズムが3人合う、ということはなかったみたいです。

おつとめが済むと、お寺さん方は、さっさとご退場。
時計を見ると、始まってから、まだ25分も経ってない!!
布教とまではいかなくても、5分程度のお話しがあってもいいのにな、と思いました。

済んでみて、一番印象に残ったのは、
近隣の、他宗の若院さん。
りんとして、自分のすべきおつとめをこなしておられました。
背筋を伸ばし、読み慣れないおつとめをきちんとおつとめした姿は、
一番大人びているというか、貫禄がありました。

私と一緒に座っていた仲間に、お通夜の感想を聞いてみると・・・
「なんか、あっけないおつとめやったなあ。」
「最後まで、リズムの合わない、変なおつとめやった。」
「ふつう、最後にお話しをするんじゃないの?おつとめだけでサヨナラなの?」

そうですよね。
お寺さんの一員として、普段はお通夜・葬儀にお参りしているけど、
一般参詣者の一人としてお参りしてみると、
いろんな事が見えてきます。

ご法義をよろこび、お念仏をたしなみ、
いざというときには、率先して故人を見送る儀式を執行する。
そこに、私たちお坊さんの立ち位置があるんじゃないかな。
もちろん、その根底には、仏法の賛嘆という大切な意味合いが込められています。
どうも、そのあたりの目線が欠落してしまうと、
参拝者をそっちのけにした、お坊さんの世界だけで完結してしまう
葬儀やお通夜になってしまう気がしてなりません。
私自身、自分の肝に銘じておきたいことです。