神通寺 住職の日記(旧タイプ)

2014年までの記録保存用です。

昨日のお墓参りの帰り道にて。

昨日の午前中に、納骨法要がありました。
一周忌に先立っての、故人の納骨をしたんですが、
炎天下の中、みんなでお骨を納めて、お参りさせていただきました。
 
その帰り道のこと。
 
クルマに同乗していた子どもさんが、
「コンビニで止まって欲しい」と言い出しました。
のどが渇いたんだろうなあ、と思って、
コンビニの駐車場で待っていたら、
帰ってきた子どもさんが、
「これ、どうぞ」
といって、私にも冷たいお茶を買ってきてくれたんですね。
 
炎天下のおつとめで、かなり汗をかいた身にとっては、
この冷たいお茶が、何と美味しかったか!!
 
で、そのときに、ふっと思ったんです。
阿弥陀様のお心って、こういうことなんじゃないかって。
 
炎天下で汗をかきながらお参りをして、
のどが渇いている私と、そういう私であることを見ていた子どもさん(と、そのご家族)がいて、
私の渇いたのどを潤そうという思いを込めて、冷たいお茶を届けてくれたんですよね。
だから、そのお茶が私ののどに届いたときに、私を潤すはたらきとなってくださった。
 
お念仏って、そうじゃないですか。
 
様々な悩みや苦しみを抱えながら、
そこから離れられずに生きていかずにはおれない私がここにいることをすでに見抜かれたお方がいるんですよ。
そのお方が、
「必ず救うぞ。我にまかせよ」
という願いを込めて、私に届けて下さったのが、南無阿弥陀仏のお念仏じゃないですか。
そのお念仏に込められたはたらきを聞かせていただく中で、
悩みや苦しみから離れられない私を救うための願いであったといただくとき、
私の心が満たされ、潤っていくのではないでしょうか。
阿弥陀様のお心は、悩みや苦しみを抱えた私と離れたところにあるのではなく、
常に我が身に寄り添っていて下さるんですよね。
 
そんなことを感じました。