青年布教使研修で、岐阜別院へ。ご講師は、石﨑博敍さん。
岐阜別院、お昼のご法座をお聴聞して、
引き続き、青年布教使研修。
大阪教区の石﨑博敍さんをお招きしての研修会です。
テーマは、「布教の組み立てについて」なんだけど、
話し合いはちょっと違う方向へ。
結構、布教現場での悩みや出来事を語り合う中で、
自信教人信という深いテーマへと進んでいきました。
自分自身のご信心にまだ自信のない状況で、
布教現場でみ教えをお伝えする、という葛藤をかかえながらの自分は
どうしたらいいんだろう、という話も出ましたし、
日常生活の自分と、布教現場の自分の姿のギャップを感じている、
という話も出ました。
以下、石﨑博敍さんのお話。
「話し合い法座の経験の中で、
だんだん僧侶とか、布教とか言う肩書きが
要らなくなったというか、邪魔になってくるんですね。
もう、同じ一門徒として、共に聞かせてもらってます、
というスタンスでお座にでていくことに慣れているんで、
同じ目線で語ることが私のお座の特徴かも知れません。」
「阿弥陀さんのことが、好きなんですね。
好きだから、その好きという気持ちを、
素直に喜びとして話すことが、私のご法話です。
阿弥陀さんのファンクラブの一員なんですわ。
まあ、もとはといえば、阿弥陀さんのほうが
先に私のことを好きになってくれてたんですけどね。」
「ご法話を聞かれて、悲しい気持ちになってしまう人が
いるとするならば、それは阿弥陀様のお働きに
泥を塗ってしまうようなことになってしまうのでしょうね。
たとえ話もそうでしょう。
あるいは、自慢話をしてしまってもおかしいでしょうね。
それは、話す側として気を付けないといけないことです。
で、話の中身はCASE-BY-CASEで、
最初からこれはダメ、あれはダメという話も窮屈でしょうね。
大切なことは何か、ということを恒に考えながら
話を組み立てていく必要があると思います。」
引き続き、青年布教使研修。
大阪教区の石﨑博敍さんをお招きしての研修会です。
テーマは、「布教の組み立てについて」なんだけど、
話し合いはちょっと違う方向へ。
結構、布教現場での悩みや出来事を語り合う中で、
自信教人信という深いテーマへと進んでいきました。
自分自身のご信心にまだ自信のない状況で、
布教現場でみ教えをお伝えする、という葛藤をかかえながらの自分は
どうしたらいいんだろう、という話も出ましたし、
日常生活の自分と、布教現場の自分の姿のギャップを感じている、
という話も出ました。
以下、石﨑博敍さんのお話。
「話し合い法座の経験の中で、
だんだん僧侶とか、布教とか言う肩書きが
要らなくなったというか、邪魔になってくるんですね。
もう、同じ一門徒として、共に聞かせてもらってます、
というスタンスでお座にでていくことに慣れているんで、
同じ目線で語ることが私のお座の特徴かも知れません。」
「阿弥陀さんのことが、好きなんですね。
好きだから、その好きという気持ちを、
素直に喜びとして話すことが、私のご法話です。
阿弥陀さんのファンクラブの一員なんですわ。
まあ、もとはといえば、阿弥陀さんのほうが
先に私のことを好きになってくれてたんですけどね。」
「ご法話を聞かれて、悲しい気持ちになってしまう人が
いるとするならば、それは阿弥陀様のお働きに
泥を塗ってしまうようなことになってしまうのでしょうね。
たとえ話もそうでしょう。
あるいは、自慢話をしてしまってもおかしいでしょうね。
それは、話す側として気を付けないといけないことです。
で、話の中身はCASE-BY-CASEで、
最初からこれはダメ、あれはダメという話も窮屈でしょうね。
大切なことは何か、ということを恒に考えながら
話を組み立てていく必要があると思います。」