神通寺 住職の日記(旧タイプ)

2014年までの記録保存用です。

昨日は陽塾、古典を読む会。今月は「歎異抄」でした!!

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毎月1回の、古典を読む会「陽塾」。
今月のテーマは、「歎異抄」です。
千葉乗隆さんの訳で、単行本を読みました。
私にとっては宗教書だけど、
歴史的な古典として読むのは、初めてかな。
安藤先生の解説も面白かったし、
参加者の感想も人それぞれで、興味深いものでした。

それで、私なりに感じたことが3点。

親鸞聖人当時の純粋な仏教が、現代仏教に歪んでしまったのは何故か。
色々理由はあるけれども、
江戸時代に宗門人別改め制度ができて、戸籍の管理を寺院が担当し、
その代わりに葬儀と年回法要でお寺を護持する、
という関係に安住したところに、
活き活きとした宗教の魅力が失われていった、
一番大きな原因があるんじゃないかな。
もちろん、現代の宗教者として、そのことを受け止め、
きちんと生きた宗教にしていくことが大切ですよね。

み教えに対する誤解や、理解不足の一つに、自力と他力の誤解、誤用があると思う。
努力することが自力で、他人任せにすることを他力と誤解してしまうと、み教えがわからなくなる。
一生懸命努力したものを「私のものだ」とつかんでしまうことが自力であり、
「私が、私が」という手を離したところに、
多くの支えやはたらきがあったと頭の下がる世界を、他力という。
私が信じるとか、信じないという世界ではなく、
「私が」という手を離していくところに、
私を支えて下さるはたらきに頭が下がる世界に気付いてゆく。
それが他力本願の受け止め方ではないかな。

人生の苦悩にぶち当たったときに、この書を開いてみると、
そのたびに新しい発見があります。
読むたびに感じるものが変わっていきます。
その意味で、人生の節目節目に、この書を開いてみると、
とても得るものが大きく、感じることも大きいんじゃないかな。
そんなことを思いました。